近代から現代までの哲学地図 ― デカルトからガブリエルまで、思考はどこへ向かったのか

目次

導入|近代から現代まで──思考はどこから来て、どこへ向かうのか

哲学史に並ぶ名前──デカルト、ロック、カント、ヘーゲル、ニーチェ、フーコー、デリダ、レヴィナス、マルクス・ガブリエル── それらは断片ではありません。そこには、ひとつの大きな問いが、かたちを変えながら流れ続けています。

「人は、どのように世界を知り、どのように“自分”を成り立たせているのか」

近代においてこの問いは「主体の誕生」として立ち上がり、 やがてその主体は揺らぎ、解体され、 現代では「言語」「構造」「他者」「実在」へと姿を変えました。

以下では、近代から現代までを 合理論と経験論 → 統合 → 運動化 → 解体 → 再構成 という一本の流れとして辿ります。

近代哲学|主体の誕生

デカルト(1596–1650|フランス)『方法序説』(1637)/『省察』(1641)

近代哲学の起点。あらゆる前提を疑い、最後に残る確実なものとして、

我思う、ゆえに我あり。

を打ち立てました。真理の基準は「神」から「考える主体」へ移動します。 理性そのものの明晰さを信頼する立場は合理論と呼ばれます。

ロック(1632–1704|イギリス)『人間知性論』(1690)

心は「白紙」であり、知識は経験によって書き込まれる。 ここから経験論が本格化します。

ヒューム(1711–1776|スコットランド)『人間本性論』(1739)

経験論を徹底し、因果関係すら「習慣」にすぎないと論じました。 近代が求めた「確実な知」は根底から揺らぎます。

統合の転回|カント

カント(1724–1804|ドイツ)『純粋理性批判』(1781)

「私たちは、世界をそのまま見ているのではなく、 “見るための枠組み”を通して見ているのではないか?」

時間・空間・因果は世界に属するのではなく、 人間の認識構造に属する。 経験は必要だが、それが「世界」として成立するには主体の枠組みが不可欠。 合理論と経験論はここで統合されます。

近代の極点|主体は「運動」になる

ヘーゲル(1770–1831|ドイツ)『精神現象学』(1807)

主体は固定点ではなく、自己を否定し乗り越え続ける運動。 真理は静止した命題ではなく、生成し続ける過程そのものです。

近代の崩壊|主体の動揺

ニーチェ(1844–1900|ドイツ)『ツァラトゥストラはこう語った』(1883–85)/『善悪の彼岸』(1886)

「私」という統一的主体そのものを疑います。 主体は言語や道徳が作り出した仮構ではないのか。 デカルト以来の強固な主体は内側から崩れ始めます。

現代哲学|存在・言語・構造

フッサール(1859–1938|ドイツ)『イデーン』(1913)

「意識に現れるもの」を厳密に記述する現象学を確立。

ハイデガー(1889–1976|ドイツ)『存在と時間』(1927)

人間を「世界の中に投げ込まれた存在」として捉え直し、 問いは「認識」から「存在」へ移行します。

ウィトゲンシュタイン(1889–1951|オーストリア)『論理哲学論考』(1921)/『哲学探究』(1953)

意味は心の中ではなく、言語の使用の中にある。 主体は言語の外に立つ存在ではなく、言語の網の目の中で生まれます。

フーコー(1926–1984|フランス)『言葉と物』(1966)/『監獄の誕生』(1975)

主体は自然にあるのではなく、知・制度・権力によって歴史的に作られてきた存在。

デリダ(1930–2004|フランス)『グラマトロジーについて』(1967)

意味は決して固定されず、常に「ずれ」と延期の中にある。 「中心」や「確実な基盤」は言語の内部から溶かされます。

その先へ|倫理と実在の再構成

レヴィナス(1906–1995|リトアニア生/フランス)『全体性と無限』(1961)

「私が“私”である前に、すでに“呼びかけられている私”がある」

哲学の原点を、認識や存在ではなく他者との関係(倫理)に置き直します。

マルクス・ガブリエル(1980–|ドイツ)『なぜ世界は存在しないのか』(2013)

「それでも“何か”は実在している。ただし、“ひとつの世界”としてではない」

近代の主体にも戻らず、相対主義にも沈まない新しい実在論を提示します。

まとめ|思考は、いまも更新され続けている

近代は、合理論と経験論から出発し、 カントによって統合され、 ヘーゲルによって運動となり、 ニーチェ以後、主体は揺らぎ、 現代では言語と構造の中へと溶け込みました。

そして今、 レヴィナスは「他者」から、 ガブリエルは「実在」から、 その先を模索しています。

これは破壊の歴史ではありません。 それは、「人は、どのように世界と関わっているのか」 という問いを、より深いところへ押し進めてきた歴史です。

私たちは、デカルトの「私」と、 現代の「構造の中の存在」の両方を引き継いだ地点に立っています。 思考は今もなお、更新され続けている運動なのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次