SMDI ――「ひとつ」と「複数」のあいだにあるエディタ
テキストエディタの設計には、大きく二つの系譜があります。
ひとつは SDI(Single Document Interface)、もうひとつは MDI(Multiple Document Interface) です。
SDIは「一画面=一文書」という極めてシンプルな構造を持っています。
いま自分が何を書いているのかが常に明確で、思考が迷子になりません。
MDIは「複数の文書を同時に扱う」ことを前提とします。
並列作業に強く、複雑な作業には便利です。
しかし、この二つはどちらも“極端”です。
- SDIでは、他の文書を見たいだけなのに、画面が分裂していく。
- MDIでは、常に複数の画面が居座り、集中が散っていく。
人の思考は、常に並列ではありません。
基本は「ひとつのこと」に集中している。
ただ、一瞬だけ他を見たい場面が、確かに存在するだけです。
そこで生まれた発想が、SMDI(Single Multi Document Interface)です。
SMDIとは何か
SMDIは、SDIとMDIの「中間」にあります。
- 基本はSDI ―― 主役の文書は常にひとつ
- 必要な瞬間だけMulti ―― 他の文書を“参照”として重ねる
- 参照は居座らない ―― 閉じれば元の一画面に戻る
ここで重要なのは、分割の意味がひとつに統合されることです。
- 自分を参照する → 自分割
- 他を参照する → 他文書割
どちらも「下に参照が現れる」という同一の行為になります。
MDIに存在する「自分割」と「他割」という二種類の分割が、
SMDIでは一つの概念にまとめられるのです。
これはUIとしての単純さであると同時に、
プログラム構造としての健全さでもあります。
サブSDIエディタ(デモ):タブをドラッグして「参照」を重ねる動きを体験できます。
なぜ、こういうエディタが存在しないのか
理由は、技術的に難しいからではありません。
多くの場合、思考がここで止まってしまうからです。
- SDI派:「別画面を開けばいいじゃない」
- MDI派:「常に並べておけばいいじゃない」
しかしそのどちらも、
「集中はひとつ、参照は一瞬」という人の自然なリズムを扱っていません。
SMDIはこう考えます。
基本はひとつ。
必要なときだけ、そっと重ねる。
この前提に立つと、UIも内部構造も驚くほど単純になります。
- いま編集中の文書は常にひとつ
- その文書に対する参照が「あるか・ないか」だけ
ペインが増殖することもなく、
フォーカスが迷子になることもない。
「いま何をしているか」を、常に言葉で説明できる。
それは、
- 人の思考に自然で
- UIが分かりやすく
- 実装も健全で
- バグが入り込みにくい
という、珍しいバランスを持つ構造です。
静かな中間地点としてのエディタ
これは「過去に戻る」発想ではありません。
SDIが持っていた“人間的な単純さ”を、
現代の作業スタイルに合わせて再構成する試みです。
重すぎず、孤立しすぎず。
思考のリズムに寄り添う、
静かな中間地点としてのエディタ。
どこかで、
「エディタはSDIかMDIか」という前提そのものを疑う人が現れて、
基本はひとつ。
必要なときだけ、そっと重ねる。
そんな道具が生まれてくれたらいい。
それはきっと、
“速くするための道具”ではなく、
“考えるための器”になるはずだから。


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